シーナ&ザ・ロケッツという名前に、懐かしさと新しさを同時に感じているかもしれません。鮎川誠とシーナによって1978年に結成されたこのバンドは、ロックンロールの魂を軸に、パンクやニューウェーブ、テクノなどさまざまなジャンルを取り入れながら、時代とともに進化してきました。YMOとのコラボレーションによる「真空パック」や「ユー・メイ・ドリーム」のヒットは、彼らの音楽が持つ革新性と普遍性を証明するものでした。
シーナの死後も、鮎川誠は「シーナの魂はロケッツに生きている」と語り、バンドの活動を止めることなく続けました。そして2023年、鮎川誠自身が亡くなったことで、シーナ&ザ・ロケッツは大きな転機を迎えます。しかし、彼らの音楽はそこで終わることなく、娘であるLUCY MIRRORがボーカルとして加入し、新たな体制で再び歩み始めました。彼女の歌声にはシーナの面影がありながらも、若い世代の感性が息づいており、ファンからは「新しいけれど懐かしい」といった声が寄せられています。
現在では、公式YouTubeチャンネルを通じて過去のライブ映像や最新ステージが公開されており、初期の熱気ある演奏から新体制のライブまで幅広く楽しむことができます。ファンクラブや配信企画では、メンバーとの距離が近い交流も実現しており、音楽だけでなく人とのつながりを大切にする姿勢が伝わってきます。
シーナ&ザ・ロケッツの魅力は、単なる音楽の枠を超えて、家族の絆、仲間との信頼、そしてファンとの共感に支えられた生きた物語です。彼らの歩みを知ることで、音楽が持つ力と人の想いの深さに触れることができます。
【この記事のポイント】
- シーナ&ザ・ロケッツの結成から現在までの歴史
- 鮎川誠とシーナの音楽的・家族的な絆とその継承
- 娘LUCY MIRRORによる新体制とライブ活動の展開
- 映像アーカイブやファンとの交流企画の充実と継続
シーナ&ザ・ロケッツの結成と音楽スタイル
結成の背景と鮎川誠・シーナの関係
シーナ&ザ・ロケッツは、1978年に福岡で誕生しました。中心となったのは、ギタリストの鮎川誠さんとボーカルのシーナさん。二人は公私ともにパートナーであり、音楽への情熱を共有しながら、夫婦としても深い絆を築いていました。
出会いは1971年の夏、福岡のダンスホールでのライブがきっかけでした。鮎川さんが演奏していたステージに現れたのが、当時高校生だったシーナさんです。音楽への強い関心と行動力を持つ彼女は、ライブ後に鮎川さんへ直接コンタクトを取り、そこから二人の交流が始まりました。ローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンなど、ロックの話題で盛り上がった夜を経て、翌日には一緒にアパートを探すほど急速に距離を縮めたとされています。
鮎川さんは当時「サンハウス」というブルースロックバンドで活動していましたが、メンバーの脱退により解散を迎えます。そのタイミングで、シーナさんの父親から「東京で勝負してこい」と背中を押され、鮎川さんは単身上京。ほどなくしてシーナさんも後を追い、東京での音楽活動が本格的に始まりました。
シーナさんが「自分の歌ったレコードを聴いてみたい」と口にしたことが、バンド結成の直接的なきっかけとなりました。その言葉に鮎川さんは迷いなく応え、シーナ&ザ・ロケッツが誕生します。夫婦でありながら、音楽的にも対等な関係を築き、互いの個性を尊重し合う姿勢が、バンドの独自性と魅力を生み出しました。
彼らの関係は、単なる夫婦ユニットではなく、ロックという表現を通じて互いを高め合う創造的なパートナーシップでした。シーナさんの力強くも繊細なボーカルと、鮎川さんの鋭く情熱的なギターが融合し、唯一無二の音楽スタイルを確立していきます。
初期の活動とメジャーデビューまでの流れ

シーナ&ザ・ロケッツは、1978年に福岡で結成された後、東京へ拠点を移して本格的な音楽活動をスタートさせました。初期のライブは「鮎川誠&ミラクルメン」名義で行われ、同年10月には「涙のハイウェイ」でレコードデビューを果たしています。この時点ではインディーズレーベルからのリリースでしたが、荒削りながらも熱量の高いロックサウンドが注目され、徐々にファンを獲得していきました。
1979年にはアルファレコードへ移籍し、メジャーデビューを迎えます。この年に発表されたアルバム『真空パック』は、YMOのメンバーが制作に関わったことで話題となり、シングル「ユー・メイ・ドリーム」がJALのCMソングに起用されたことで一気に知名度が上昇しました。この楽曲は、シーナの力強いボーカルと鮎川誠の鋭いギターが融合した、バンドの代表曲として今も語り継がれています。
ライブパフォーマンスにおいても、シーナのステージ上での存在感と鮎川のギターが生み出すエネルギーは圧倒的で、観客を巻き込む熱狂的な空気が特徴でした。その勢いのまま、YMOの凱旋公演ではオープニングアクトを務めるなど、ロックシーンの中で確かな地位を築いていきます。
初期のシーナ&ザ・ロケッツは、パンクやニューウェーブの要素を取り入れながらも、根底にはロックンロールへの深い愛情がありました。その姿勢は、音楽性だけでなく、ファッションやライフスタイルにも表れており、当時の若者たちに強い影響を与えました。メジャーデビューまでの流れは、彼らの情熱と行動力が形になった軌跡とも言えます。
YMOとの関係とブレイクのきっかけ
シーナ&ザ・ロケッツが全国的な知名度を得る大きな転機となったのが、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)との関係です。1979年、アルファレコードに移籍した彼らは、YMOの細野晴臣さんのプロデュースによってアルバム『真空パック』を制作しました。この作品に収録された「ユー・メイ・ドリーム」は、テクノポップの要素を取り入れた革新的なロックナンバーで、シーナのキュートで力強いボーカルと鮎川誠のギターが絶妙に絡み合った楽曲です。
「ユー・メイ・ドリーム」は同年12月にシングルとしてリリースされ、日本航空のCMソングに起用されたことで一気に注目を集めました。テレビやラジオで頻繁に流れたこの曲は、シーナ&ザ・ロケッツの代表曲として広く知られるようになり、彼らの名前が全国に浸透するきっかけとなりました。
さらに、鮎川誠さんはYMOのセカンドアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』にギタリストとして参加しており、音楽的な交流も深まりました。1979年12月にはYMOの凱旋公演のオープニングアクトとして中野サンプラザのステージに立ち、テクノポップとロックの融合という新しい音楽の可能性を提示しました。
この時期のシーナ&ザ・ロケッツは、めんたいロックの代表格としても注目されており、福岡発のバンドとしていち早く東京で成功を収めた存在でした。YMOとの関係は、彼らの音楽性に新たな広がりをもたらすと同時に、国内外のロックシーンにおける評価を高める重要な要素となりました。
「ユー・メイ・ドリーム」はその後もNHKの連続テレビ小説『半分、青い。』の劇中曲として使用されるなど、時代を超えて愛され続けています。シーナ&ザ・ロケッツのブレイクには、YMOとの出会いと音楽的な融合が欠かせない要素として深く刻まれています。
ロックンロールとパンクの融合スタイル

シーナ&ザ・ロケッツの音楽は、ロックンロールの原点をしっかりと踏まえながら、1970年代後半に台頭したパンクロックのエネルギーを巧みに取り入れたスタイルが特徴です。鮎川誠さんが敬愛するローリング・ストーンズやチャック・ベリーといったクラシックなロックンロールの影響を軸にしつつ、時代の空気を反映した荒々しくも鋭いサウンドが加わることで、独自の音楽性が生まれました。
シーナさんのボーカルは、ただ力強いだけでなく、女性らしさと挑発的な魅力を併せ持つ存在感があり、ステージ上では観客を圧倒するほどのパフォーマンスを見せていました。一方、鮎川さんのギターは、ブルースの深みとパンクの鋭さを融合させたサウンドで、シンプルながらも骨太なリフが印象的です。この二人の個性がぶつかり合うことで、シーナ&ザ・ロケッツならではの音楽が形づくられていきました。
彼らの楽曲には、反骨精神や自由への憧れといったロックの本質が込められており、聴く人の心を揺さぶる力があります。特にライブでは、演奏の激しさとシーナさんの身体全体を使った表現が融合し、観客との一体感を生み出していました。その熱量は、時代を超えて今も多くのファンに語り継がれています。
ロックンロールの伝統を守りながらも、パンクの衝動を取り込んだ彼らのスタイルは、ジャンルの枠を超えて多くのミュージシャンに影響を与えました。シーナ&ザ・ロケッツは、単なる音楽ユニットではなく、時代の空気を音で切り取る表現者として、今もその存在感を放ち続けています。
海外での評価とアメリカ盤リリースの経緯
シーナ&ザ・ロケッツは1981年、アメリカのA&Mレコードから海外向けアルバム『SHEENA AND THE ROKKETS IN U.S.A』をリリースしました。この作品は、国内で発表された『真空パック』と『チャンネル・グー』から選曲された楽曲を中心に構成されており、英語詞による再録音とリミックスが施された意欲作です。プロデュースとミックスはロサンゼルスのスタジオで行われ、英語圏のリスナーに向けたサウンドメイクが意識されています。
収録曲のほとんどが英語詞に変更される中で、「LAZY CRAZY BLUES」のみは日本語のまま収録されており、シーナと鮎川誠のこだわりが感じられるポイントです。シーナの英語の発音には独特の響きがあり、現地のリスナーからは「フランス語のようなニュアンスがある」と評されることもありました。その個性が、ロックバンドとしての魅力をより際立たせる要素となっています。
このアメリカ盤は、単なる翻訳版ではなく、ギターアレンジやシンセの使い方など細部にわたって再構築されており、オリジナルとは異なる表情を見せています。ライブツアーも海外で実施され、現地のファンからは熱い支持を受けました。特にロサンゼルスでのパフォーマンスでは、シーナのステージングと鮎川のギターが高く評価され、現地メディアにも取り上げられるなど、海外進出の成果が表れています。
この時期の活動は、シーナ&ザ・ロケッツが国境を越えてロックを届ける存在としての可能性を広げた重要な一歩でした。日本語のロックを世界に発信するという挑戦は、後の世代のアーティストにも影響を与えることとなり、彼らの音楽が持つ普遍性と情熱が、言語や文化を超えて伝わったことを物語っています。
代表的なアルバムとその特徴

シーナ&ザ・ロケッツの代表作には、「ピンナップ・ベイビー・ブルース」「真空パック」「ロケット・ライド」などがあり、それぞれの作品に時代ごとの音楽的挑戦が込められています。バンドの進化と多様性を感じ取ることができるラインナップです。
1979年に発表されたセカンドアルバム『真空パック』は、YMOの細野晴臣がプロデュースを手がけ、坂本龍一や高橋幸宏も参加したことで知られています。ロックの熱気とテクノのクールさが融合した先駆的な作品で、シーナ&ザ・ロケッツの音楽性を大きく広げるきっかけとなりました。「YOU MAY DREAM」や「BATMAN THEME」など、シンセサイザーとギターが絶妙に絡み合う楽曲が並び、ニューウェイヴの風を感じさせる構成が特徴です。
「ピンナップ・ベイビー・ブルース」は、1981年にリリースされたアルバムで、よりパンク色の強いサウンドが展開されています。シーナのボーカルが前面に押し出され、鮎川誠のギターが鋭く響く構成は、ライブ感を重視した仕上がりとなっています。この作品では、バンドの原点とも言えるロックンロールへの回帰が感じられます。
「ロケット・ライド」は、1980年代後半に発表されたアルバムで、アメリカ盤のリリースも意識した英語詞の楽曲が多く収録されています。海外進出を視野に入れたサウンドメイクが施されており、グローバルなロックバンドとしての可能性を感じさせる内容です。シーナの英語ボーカルと鮎川のギターが、国境を越えた表現力を見せています。
これらのアルバムは、それぞれ異なる時代背景や音楽的アプローチを持ちつつも、シーナ&ザ・ロケッツらしさを失わない一貫したスタイルが貫かれています。ロック、パンク、テクノ、ニューウェイヴといったジャンルを自在に行き来しながら、常に新しい表現に挑戦し続ける姿勢が、彼らの音楽を時代を超えて魅力的なものにしています。
時代ごとの音楽的変化と挑戦
シーナ&ザ・ロケッツは、1978年の結成以来、時代の変化に応じて音楽性を柔軟に進化させながらも、ロックの芯を貫く姿勢を保ち続けてきました。1980年代には、YMOとのコラボレーションを通じてテクノポップやニューウェーブの要素を取り入れ、従来のロックンロールに新しい風を吹き込む作品を次々と発表しました。アルファレコード時代のアルバムには、電子音とギターサウンドが融合した斬新なアレンジが多く見られ、当時の音楽シーンに強いインパクトを与えました。
1980年代後半から1990年代にかけては、よりパンク色の強いサウンドやガレージロックの荒々しさを前面に押し出した作品が増え、ライブの熱量も一層高まりました。この時期には、メンバーの入れ替わりもありながら、鮎川誠とシーナを中心としたバンドの軸は揺るがず、常に「自分たちらしさ」を追求する姿勢が感じられました。
1990年代以降は、インディーズシーンとの接点も増え、若い世代のアーティストとの共演やイベント出演を通じて、世代を超えた交流が生まれました。2000年代には、過去の楽曲をリマスターした再発やライブ映像のアーカイブ化など、活動の幅を広げながら、音楽の魅力を再提示する取り組みも行われています。
シーナ&ザ・ロケッツの音楽は、時代ごとのトレンドを取り入れつつも、決して流されることなく、常に自分たちのスタイルを大切にしてきました。その姿勢は、ファッションやステージングにも表れており、シーナの個性的なボーカルと鮎川のギターが生み出す世界観は、どの時代においても鮮烈な印象を残しています。音楽的挑戦を重ねながらも、根底にあるロックへの愛と信念が、彼らの作品を時代を超えて響かせる力となっています。
シーナ&ザ・ロケッツの現在とライブ活動
シーナの死去とその後の活動継続

2015年2月14日、シーナさんは子宮頸がんのため61歳で亡くなりました。最期の瞬間は、病室でシーナ&ザ・ロケッツの音楽が流れる中、夫でありバンドのギタリストでもある鮎川誠さんに抱かれながら、家族に見守られて静かに息を引き取ったとされています。彼女が愛した音楽とともに旅立ったその姿は、多くのファンの記憶に深く刻まれています。
シーナさんは闘病中も音楽活動への意欲を失わず、病気が判明した後もアルバム『ROKKET RIDE』をリリースし、ライブにも出演し続けました。体調が悪化してからもステージに立ち、座ったまま歌う姿に、観客は深い感動を覚えました。彼女の「歌いたい」という強い思いは、最後まで揺らぐことがありませんでした。
シーナの死後も、鮎川誠さんは「シーナの魂はロケッツに生きている」と語り、バンドの活動を継続しました。彼女の存在を感じながら演奏を続ける姿勢は、ファンにとっても大きな支えとなりました。ライブではシーナの楽曲が演奏され、彼女の声が映像や音源を通じて響き渡り、会場には変わらぬ熱気と敬意が満ちていました。
その後もバンドは精力的に活動を続け、シーナの遺志を受け継ぐ形で新たなステージへと歩みを進めました。彼女の娘であるLUCY MIRRORさんがボーカルとして加わり、次世代のロケッツとしての展開も始まっています。シーナの魂は、音楽と人々の心の中に生き続け、今もなおバンドの核として息づいています。
鮎川誠の逝去とバンドの転機
2023年1月29日、シーナ&ザ・ロケッツのギタリストでありリーダーでもあった鮎川誠さんが膵臓がんのため74歳で亡くなりました。病気が発覚したのは前年の5月で、余命宣告を受けながらも本人の強い意志で公表せず、治療とライブ活動を並行して続けていました。亡くなる直前まで音楽制作に取り組み、次回作の選曲にも関わっていたとされ、まさに最後の瞬間までロックに身を捧げた生涯でした。
鮎川さんはシーナさんの死後も「シーナの魂はロケッツに生きている」と語り、バンドの活動を継続してきました。2022年には結成45周年を迎え、47都道府県ツアーを敢行するなど、精力的なライブ活動を展開。その姿勢は、音楽への情熱とファンへの感謝に満ちていました。
鮎川さんの死去により、シーナ&ザ・ロケッツは創設メンバーの二人を失うこととなり、大きな転機を迎えました。しかし、バンドはその歴史と精神を受け継ぎ、新たな形で活動を継続する道を選びました。喪主を務めた長女・陽子さんをはじめ、家族や関係者がその意思を支え、今後の展開に期待が寄せられています。
鮎川誠さんの存在は、単なるギタリストにとどまらず、バンドの象徴であり、ロックの精神そのものでした。彼の音楽は今も多くの人々の心に響き続けており、シーナ&ザ・ロケッツの歩みは、彼の遺志とともに新たな章へと進んでいます。
娘LUCY MIRRORの加入と新体制

シーナ&ザ・ロケッツは、鮎川誠さんとシーナさんの死去という大きな節目を経て、新たな体制で活動を続けています。その中心にいるのが、二人の末娘であるLUCY MIRRORさんです。彼女は2015年からボーカルとして正式に加入し、現在はバンドの顔としてステージに立ち続けています。
LUCY MIRRORさんは、10代の頃から音楽活動を始め、DARKSIDE MIRRORSなどのバンドで独自の世界観を築いてきました。その経験を活かしながら、シーナ&ザ・ロケッツでは母・シーナさんの魂を受け継ぐような存在として注目されています。彼女の歌声には、シーナさんの力強さと繊細さが宿っており、ファンからは「懐かしさと新しさが同居している」と評されています。
現在のバンド編成は、ボーカルにLUCY MIRRORさん、ギターに澄田健さん、ベースに奈良敏博さん、ドラムに川嶋一秀さんという布陣です。いずれも鮎川誠さんと長年にわたり音楽を共にしてきたメンバーであり、バンドの精神を深く理解した上で演奏を続けています。
ライブでは、シーナ&ザ・ロケッツの代表曲を中心に、LUCY MIRRORさんの個性を活かしたアレンジも加えられています。彼女は「母の歌を歌うことは、家族の記憶を紡ぐこと」と語り、ステージ上でその思いを体現しています。観客との距離が近く、温かい空気に包まれたライブは、かつての熱狂とはまた違った魅力を放っています。
新体制のシーナ&ザ・ロケッツは、過去の遺産を守るだけでなく、未来へとつなぐ役割を担っています。親子の絆が音楽を通じて受け継がれ、バンドは今もなお、ロックの魂を響かせ続けています。
最新ライブ映像とアーカイブの充実

シーナ&ザ・ロケッツは、長年にわたるライブ活動の記録を丁寧に残しており、現在ではその映像アーカイブが充実しています。公式YouTubeチャンネルでは、1978年の結成から現在に至るまでの貴重なライブ映像やミュージックビデオ、インタビューなどが公開されており、ファンはいつでも彼らのステージに触れることができます。
特に注目されているのが、2021年に発売された「43周年記念ライブ」のフル映像です。このライブは、LUCY MIRRORさんがボーカルとして参加した初の映像作品であり、鮎川誠さんのギターとともに新体制のバンドの魅力が詰まった内容となっています。全22曲・約1時間47分にわたるノーカット収録で、代表曲「ユー・メイ・ドリーム」や「涙のハイウェイ」なども含まれています。
また、過去の名演としては、1992年に渋谷公会堂で行われた「HARD DRUG ALL OVER JAPAN」ライブの映像もDVD化されており、当時の熱気と勢いをそのまま感じることができます。このように、初期の荒々しいステージから近年の洗練されたライブまで、幅広い時代の映像が揃っているのが特徴です。
さらに、シーナの命日に合わせた特別配信「SHEENA FOREVER」では、秘蔵映像や過去のライブの名場面が編集され、ファンとの思い出を共有する場としても機能しています。映像の選曲や編集にはLUCY MIRRORさんも関わっており、家族の視点から見たシーナ&ザ・ロケッツの歴史が丁寧に紡がれています。
こうしたアーカイブの充実は、単なる記録ではなく、バンドの魂を次世代へとつなぐ大切な手段となっています。ライブの熱量やメンバーの表情、観客との一体感が映像を通じて伝わり、シーナ&ザ・ロケッツの魅力をより深く味わうことができます。
オフィシャルYouTubeチャンネルの活用
シーナ&ザ・ロケッツの公式YouTubeチャンネルは、バンドの歴史と現在をつなぐ貴重なプラットフォームとして活用されています。1978年の結成から現在に至るまでのライブ映像、ミュージックビデオ、インタビュー、舞台裏の様子などが豊富に公開されており、ファンはいつでも彼らの音楽に触れることができます。
チャンネルでは、鮎川誠さんとシーナさんの過去のステージはもちろん、LUCY MIRRORさんを迎えた新体制のライブ映像も多数アップされています。特に「SHEENA FOREVER」などの特別配信では、命日に合わせた映像企画が行われ、シーナの存在を偲ぶとともに、バンドの魂が今も息づいていることを感じさせてくれます。
コメント欄には、長年のファンからの温かいメッセージや、初めて彼らの音楽に触れた視聴者の感動の声が寄せられており、世代を超えた交流の場としても機能しています。ライブ映像の中には、1980年代のテレビ出演時のパフォーマンスや、野外フェスでの熱狂的なステージなど、時代を超えた魅力が詰まったものも多く、アーカイブとしての価値も高まっています。
また、チャンネルではティザー映像やリマスター版のMVも定期的に更新されており、過去の名曲が新たな形で蘇る瞬間を楽しむことができます。視聴者は、鮎川誠さんのギターの響きやシーナさんのボーカルを通じて、ロックの本質に触れることができ、バンドの魅力を再発見するきっかけにもなっています。
このように、公式YouTubeチャンネルは、シーナ&ザ・ロケッツの音楽とファンをつなぐ大切な架け橋となっており、今後もその役割はますます広がっていくと考えられます。
ファンとの交流イベントや配信企画

シーナ&ザ・ロケッツは、ライブ活動に加えてファンとの交流を大切にするイベントや配信企画を積極的に展開しています。公式ファンクラブ「Hippy Happy House」では、年4回の会報発行をはじめ、メンバーによる連載やライブレポート、未公開写真の掲載など、ファンがバンドの内側に触れられるコンテンツが充実しています。さらに、会員限定のスペシャル音源や動画のプレゼントもあり、ファンにとっては特別な体験となっています。
ファンクラブ会員向けには、メンバー参加型のイベントも開催されており、トークセッションやミニライブなど、距離の近い交流が実現しています。こうしたイベントでは、メンバーの素顔や日常の一面に触れることができ、ファンとの絆がより深まる場となっています。
また、YouTubeチャンネルでは生配信企画も行われており、命日や記念日に合わせた特別番組「SHEENA FOREVER」「MAKOTO AYUKAWA FOREVER」などが配信されています。これらの企画では、過去のライブ映像や秘蔵映像を交えながら、メンバーや関係者が思い出を語る場面もあり、視聴者との感情的なつながりが生まれています。
ライブの舞台裏やメンバーのコメントがリアルタイムで届けられることで、ファンはより身近にバンドを感じることができ、コメント欄では温かい交流が続いています。こうした配信企画は、遠方に住むファンやライブに足を運べない人々にとっても貴重な機会となっており、シーナ&ザ・ロケッツの音楽が世代や場所を越えて広がっていることを実感できます。
現在のメンバー構成と活動状況
シーナ&ザ・ロケッツは、鮎川誠さんとシーナさんの死去を経て、新たな体制で活動を続けています。現在のメンバーは、ボーカルにLUCY MIRRORさん、ギターに澄田健さん、ベースに奈良敏博さん、ドラムに川嶋一秀さんという構成です。いずれもバンドの歴史を支えてきた実力派であり、鮎川誠さんの音楽的精神を受け継ぎながら、新しい表現に挑戦しています。
LUCY MIRRORさんは、鮎川誠さんとシーナさんの三女であり、DARKSIDE MIRRORSなどでの活動を経て、2019年から正式にボーカルとして参加しています。彼女の歌声にはシーナさんの面影がありながらも、独自の感性が加わっており、バンドに新しい息吹をもたらしています。ライブでは、母の代表曲を歌い継ぎながらも、自身のスタイルを確立しつつあります。
ギタリストの澄田健さんは、鮎川誠さんの後を継ぐ形で加入し、ロックンロールの魂を受け継ぎながらも、現代的なアプローチを加えた演奏を展開しています。奈良敏博さんと川嶋一秀さんは、長年にわたり鮎川誠さんと共に活動してきたメンバーであり、バンドの屋台骨として安定したリズムとグルーヴを支えています。
現在のシーナ&ザ・ロケッツは、ライブ活動を中心に精力的に展開しており、各地で追悼ライブや記念イベントに出演しています。2023年には鮎川誠さんの誕生日に合わせたライブDVDのリリースや、新宿LOFTでの記念ライブなどが行われ、ファンとの絆を深める場となりました。
今後の活動については、LUCY MIRRORさん自身が「今までのように活動するつもりはない」と語っており、バンドとしての方向性には葛藤もあるようです。ただ、シーナ&ザ・ロケッツの楽曲が持つ力や、残されたメンバーの思いがある限り、ステージでその魂が響き続けることに変わりはありません。ロックと家族、仲間の絆を紡ぐ物語は、これからも静かに、力強く続いていきます。
シーナ&ザ・ロケッツの歩みと現在を総まとめ
- シーナ&ザ・ロケッツは1978年に福岡で結成された
- 鮎川誠とシーナの夫婦ユニットとして活動を開始
- 初期はインディーズで活動し1979年にメジャーデビュー
- YMOとのコラボで「真空パック」が話題となった
- 「ユー・メイ・ドリーム」がCM起用で全国的にブレイク
- ロックンロールとパンクを融合した独自の音楽性
- 1981年にアメリカ盤をリリースし海外進出を果たした
- 英語詞の楽曲で国境を越えた表現に挑戦した
- 代表作には「真空パック」「ロケット・ライド」などがある
- 時代ごとに音楽性を変化させながらも芯を貫いた
- シーナの死後も鮎川誠が活動を継続し魂を守った
- 鮎川誠の逝去後もバンドは新体制で継続を選択した
- 娘LUCY MIRRORがボーカルとして加入し新章が始動
- YouTubeでライブ映像や秘蔵映像を多数公開している
- ファンとの交流イベントや配信企画も積極的に展開中